ポスティング制度は「最適な仕組み」なのか? ―オークション理論で読み解くNPBとMLBの移籍交渉

ドジャースの佐々木朗希、メジャー初勝利
ロサンゼルス・ドジャースの佐々木朗希投手(23)が5月3日、敵地アトランタで行われたブレーブス戦に先発し、5回を3失点に抑え、メジャー移籍後7登板目で初勝利をマークした。160キロ超の速球を中心に4奪三振を記録し、全米の注目を集めた。
この試合は、佐々木の将来性をあらためて示す内容となったが、それと同時にNPBとMLBを結ぶ「ポスティング制度」の在り方にも再び関心が集まっている。というのも、佐々木のメジャー移籍時に支払われた譲渡金(ポスティング・フィー)は175万ドル(約2億6000万円)と、同僚の山本由伸がもたらした5062万5000ドル(約72億円)と比べて著しく少なかったからだ。
「25歳ルール」によって年齢やプロ経験年数による制限が課された結果、球団側が得る利益が大きく減少した――この現実は、制度の公正性や効率性を問い直す契機となっている。
ポスティング制度とオークション理論
そもそもポスティング制度とは、NPB選手が海外FA権を取得せずにMLB球団と契約するための制度であり、1998年の導入以降、イチローや松坂大輔、大谷翔平らがこの制度を通じて海を渡った。だがその内容は大きく変遷を遂げてきた。注目すべきは、かつてこの制度が、経済学で言うところの「1位価格オークション」として設計されていた点である。
「1位価格オークション」とは何か?
オークション理論では、さまざまな競りの形式が研究されてきた。その一つが「1位価格(ファーストプライス)オークション」。これは、参加者が入札価格を提示し、最も高い入札を行った者がその価格で落札する仕組みだ。ポスティング制度においては、MLB球団が密封入札で譲渡金額を提示し、最も高い入札を行った1球団に30日間の独占交渉権が与えられていた(~2012年)。
この制度設計では、球団がリスクを取って高額の入札を行い、仮に選手との契約交渉が決裂した場合でも譲渡金は支払われない。つまり「競りに勝った後に、選手が拒否すれば全てが水泡に帰す」という非効率性も抱えていた。
2013年以降の制度――「2位価格オークション」との対比
その後、制度は段階的に見直され、2018年以降は「契約総額×一定割合」の方式(最大20%)で譲渡金が決まるルールとなった。これはオークションの「形式」としてはむしろ曖昧な設計に近づいたが、「理想的な形式」とされる「2位価格(セカンドプライス)オークション」との対比は依然として重要である。
2位価格オークションとは、最も高い入札者が「2番目に高い価格」で落札するという形式。Googleの広告入札や公共事業の割当などで広く採用されているこの形式には、「正直な入札が戦略的に最適である」という大きな利点がある。

収益同値定理――どの方式でも「収益」は同じになる?
ここで、オークション理論における最も重要な命題の一つ、「収益同値定理」を紹介しよう。この定理は、一定の前提条件が満たされる限り、「入札者がリスク中立で、価値評価が独立かつ私的で、同一の確率で落札されるように設計された入札制度であれば」、1位価格オークションであろうと、2位価格オークションであろうと、主催者が得る期待収益は同じになる、というものである。つまり、「どのオークション形式を採っても、結果的に収益には大差ない」というのが、理論上の結論なのだ。
オークション形式が異なっても売り手の収益が同じになる――収益同値定理のこの不思議な結論は、次のような前提条件の上に成り立っている。

なぜ制度は変わるのか?――収益以外の要素
とはいえ、実際の制度設計では「収益」だけが考慮されるわけではない。たとえば以下のような要因が制度を変える力として働く。
●入札の透明性:ファンや選手にとって納得感のあるプロセスか?
●交渉の安定性:落札球団と選手が「不成立」に終わるリスクはどれほどか?
●選手の自由意志:交渉の主導権を選手側にも与える設計になっているか?
実際、旧制度では「最高入札額でも選手に断られる可能性がある」ため、MLB球団にとっては不確実性の高い制度だった。制度が改められたのは、収益最大化という観点よりも、こうした実務的な合理性の追求によるものといえる。
制度の先にある「価値の設計」
佐々木朗希の移籍においても、制度が違えば、ロッテが得た金額も大きく変わっていた可能性がある。それは、制度が「価値そのものをどう設計するか」を左右していることを意味する。
そして、制度設計にオークション理論が果たす役割は極めて大きい。どんな形式で、どのように交渉を進め、どんな条件で選手が移籍できるのか。そこにあるのは、野球の話であると同時に、経済学が向き合ってきた「インセンティブ設計」の問題でもあるのだ。
「合理的な制度」とは、誰にとって合理的か
ポスティング制度の行方を考えるとき、私たちが問うべきは「収益を最大化する制度」ではなく、「誰の何を最大化すべきか」という問いである。
●球団の収益か
●選手の自由か
●ファンの納得感か
この複雑な構造の中で、オークション理論は、制度を評価し、改善するための強力な“レンズ”を提供してくれる。NPBとMLBの間で交わされる交渉の舞台裏には、経済学の知が静かに、しかし確かに息づいている。